じーっと見てたら、「見るものと見られるもの」って…能動と受動見たいなら対比で「意識のあるやつと無いやつ」みたいな感じだなと思いました。 もしそうだと考えると、ここで大拙さんが言ってる、科学で扱う「物」というのは、意識がないもののことで…もしかして意識がないとか、動物みたいに薄いとか(たぶんそう思ってるかなと)、またはそういう部分として見る(意識できる)ようになった途端に扱える立場なのかなと思いました。 例えば…西洋では科学の立場で「肝臓」という臓器に対して、それ自体には意識がない=モノとしてみることができて研究できるようになるのかなと思います。一方、東洋だと「肝」はイライラを司っていたりして、確かに意識はないかもですが…意識に影響与えてくる何かよなと思いました。科学の客観ってもしかして奥底に。「意識あるなしが大事」ってのが隠れてるのかなと思いました。
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