私は「運命...」でもりけんさんと出会いました。しかし、同じもりけんさんとの出会いであっても、ベツのきっかけでこのHPに来たり、もりけんさんと出会っている人のほうが多いのだということを、時々思い出します。
精神世界の教祖ショッピングの果てにこのHPにたどりついた、魂のステップアップを目指す人もいるかもしれません。そして、自分の「生き方」とか「精神的ステップアップ」にお金や時間を使える人は、金銭的に余裕があるということです。経済的な原理からいうと、自分の稼いだお金や親からもらったお金を何に使おうが自由だと思います。しかし反面、そういうものにお金(何十万)を使える人というのは、それだけで金銭的に恵まれているわけで「あんたは十分恵まれてんだよ。この上、一体何が必要なの?あんたの今の状態で十分幸せなんだよ」という気持ちが、私の中から去りません。金の苦労を知っていたり、経済的に困窮していたら、魂のステップアップなんて、絶対に考えません。金持ちの道楽だとしか思えないと思います。
実生活でも、金銭的に恵まれているのに、恵まれていない私に、あれを悩んでいる、これを悩んでいると言ってくる人がいると、張り倒したくなります。自分が何をしたわけでもないのに、金持ちの家に生まれたというだけで、数々のメリットを享受してきた人たちに、私は何もいう言葉が見つかりません。金銭的に恵まれて有利な人生を送っている人たちと自分との間には、非常に深い溝があると思います。
私は、ある大学の教授から言われた言葉を覚えています。「私が金銭的に恵まれない家に生まれたら、もっと自分は努力する機会があったと思うのに...(それができなくて残念です)」。金持ちの家に生まれて、自分が努力をして困難を克服するチャンスがなかったから、貧乏な境遇に生まれたかったと不満を言っているとしか聞こえませんでした...。
あんた、金がないということが、どれだけ人生のチャンスを狭め、苦労を強いるものか知ってるのか、という気力さえ失せました。バカと話していてもしかたがないと、大学生の私が大学教授とその大学に対して思った瞬間でした...。金銭的に恵まれた家に生まれ、母校の教授にまでなった人から、そういう人生観を聞くとは思いませんでした。生まれた家が東京にあって金持ちだったら、この程度のヤツでも大学の教授になれるんだ、ということがわかりました。
仕送り5万円で、やりたくもないアルバイトをして生活を支え、毎日疲れきって、時間がとれないということに、そのとき悩んでいた私に、「金持ち」が投げつけた言葉でした。実際、時間と金さえあれば、何にでもなれるのだと思います。
私は精神世界系の人は気持ち悪いです。でも、私もこのHPに出会ったきっかけは「運命..」を読んで、六コウ占術で当時の自分の悲惨な状況を、少しでも変えたいという実利的な理由であったということも事実です。
どちらが良い悪いではないと思います。何がいいたかというと、このHPはもりけんさんの切るカードの数だけ、いろんな角度からもりけんさんに引かれて集まってきた違うタイプの人々が居るという事だと思います。私のように六コウ占術を勉強して、経済的にもう少しラクな生活を送りたいと考える人もいれば、精神的なきづきを求めてくる人もいれば、時空の真実を探求したいというのが動機、という人もいるのだと思いました。もちろん、もりけんさんが単に好きだという人も居ると思います。
そして私は六コウ占術を勉強していくにしたがって、金の苦労で傷ついた心とコンプレックスを少しずつ捨てることができるような気がします。金とは大したものであり、大したことはないものだということが、わかればそれでいいのだと思います。そしてたぶんそういうものから、どんな形かわかりませんが、開放されるというのが、自分にとって非常に大事なのだと思います。
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